下町情緒と入道雲
情緒、という言葉がある。
じょう‐ちょ〔ジヤウ‐〕【情緒】
《「じょうしょ」の慣用読み》
1 事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起こさせる特殊な雰囲気。「情緒 豊かな作品」「異国の情緒 があふれる」「下町情緒 」
「異国の情緒があふれる」「下町情緒」…よく使われる言葉ではあるけれど
僕にはその「情緒」というものがわからなかった。
外国に行ったことなんて無いし、生まれも育ちも田舎だからここがいわゆる「下町」なのかもわからない。
比較するものがないから感情のトリガーも作動しない。
日々「普通」なことが続いていく。そんな心持ちだ。
梅雨が明け、照り付ける太陽がアスファルトに反射して足元にさえもモワッと熱気がこもる。
こんなにもいい天気だと、否でも応でも外に出なければならない。
「こんなにいい天気なのに外出しないなんて、もったいないよ」
青空にドスンと浮かぶ入道雲がそうやって僕に訴えかけているようで、少し辛い。
電車に揺られ数十分。ここはいわゆる街の繁華街だ。
いくら金曜日といえどもまだ昼の時間帯。
にもかかわらずアーケードは人で賑わっている。
どこかの高校のジャージや、見るからに若そうな恰好をした男女達を見て気づく。
そうか、世間はもう夏休みか。
部活帰りの生徒たちや若い男女は、おそらくきっと、ここで「夏の思い出」みたいなものを作る。
みんなきっと、入道雲にけしかけられたのだろう。
"どこへ行こうか、田舎だから行くあてもないし"
この街はそういった人々を喰らい胃袋におさめている。僕もそのうちの一人だ。
雑踏を抜け、商店街に入る。
この商店街はおじいちゃんおばあちゃん、あるいは親から譲り受けた息子が店主をやっている店が多い。老舗というか、歴史を感じさせるというか…
はっきり言えば過疎化が問題になりつつありシャッター街化が進んでいる。
近くに大きなスーパーがあるせいで野菜が全然売れないんだよ、と八百屋の大将さんは笑っていた。
商店街側も一計を立ててはいるようで、パンケーキ屋さんが出来たりお洒落な美容院があったりチェーン店のカラオケ屋が目立つところにあったりと「近代化」の波は確かにある。
ただ、「カラオケフリータイム実施中!」というポスターから歩いて150mも進めば、
目を開けているのか閉じているのかもわからないようなおばあちゃんが、店先に座ってハンコ屋の店番をしているという光景が個人的にすごいギャップで笑ってしまう。
商店街を引き続き歩いていると、ふと立ち飲み屋さんを見つける。
中では女将さんが仕込みに精を出していた。
店先には営業中に厨房で使うであろう手ぬぐいが干されていた。
僕はお酒自体全く飲めないのだけれど、それでも「うわー、この光景すごくいいな」と思った。
なるほど、これが下町情緒か。
繰り返す。本当にしつこく繰り返すが僕は田舎で育った。いわゆる「情緒」が常にある環境だ。
だが、パンケーキ屋さんのお洒落な店先を見た後で、
この光景を見ると、とても心がホッとした。とてつもない安心感だ。
もちろんパンケーキ屋さんのことを悪く言っているわけでもないし、あの店は街の景観に合わないとかそういうことが言いたいわけではない。
それでもこの立ち飲み屋さんを見て、「実家に帰った感覚」に近いものを覚えたのは確かだ。
老舗の情緒や風情の中に、ポップなカルチャー。
「情緒不安定」という言葉は街にもあてはめることができるのだろうか?
この「町」には色々な顔がある。
下町情緒溢れる顔、お洒落な街の顔、夜になれば飲み屋街、風俗街の顔さえ覗かせる。
それでも人々が集う場所の顔には間違いなくて、色んな人がこの町のそういう顔を作ってきたのだ。
辛い思い出や悲しい過去、楽しかったこと嬉しかったこと。
そういった様々な感情をも、懐かしい過去へといつか全部ひっくるめて変えてくれる。
そんなこの町は、今日も確かに存在している。
「町」というのは人々によって作られるけれど、
— サバト (@sabachaaan) 2016年7月29日
人々は「町」によって生かされているのかもね。